(フレッシュアップコミュニケーション25年版より)
前学校長 渡辺 雅之
同窓生の皆様いかがお過ごしでしょうか。この3月に無事第64期生を送り出すことができました。新しい仲間として歓迎していただきたく、よろしくお願い申し上げます。さて、本年1月アルジェリアにて多くの人質が殺害される事件が起き、その背景には何があるのか、きっと歴史的なものがあるのではと調べ始めましたら、アルジェリア独立戦争と鈴木道彦さんが繋がったのです。鈴木さんの1960年代についての回顧録(「越境の時」集英社新書)を読んでいましたら、今度は我が母校の都立小松川高校で起きた殺人事件(1958年)に言及されているではありませんか。驚きましたねぇ。マルセル・プルーストのあの長~い小説『失われた時を求めて』の翻訳者である鈴木さんがサルトルの著書を通じて自我の問題に答えを見出し、ヴェトナム戦争や金嬉老事件との関わりを日本人のだれもが無縁ではあり得ないという「民族責任」について考えていられることに深く共鳴し、自己と徹底的に向き合ってこられたのだなぁと痛感しました。
そして、かつてテクストにしたことのある徐京植さんの「過ぎ去らない人々」(影書房)からプリーモ・レーヴィが脳裏に浮かんだのも、自分自身と向き合うことを考えていた時のことでした。アウシュヴィッツの抹殺収容所に送られた彼は、奇跡的に生き延び、戦後解放されました。やっとのことで自宅に帰りつき、「アウシュヴィッツは終わらない」(朝日選書)を執筆したのです。アウシュヴィッツという地獄から帰還した