2024年パリオリンピック五輪出場の松本信歩選手にインタビュー

 2024年パリオリンピック五輪の出場権をつかんだ本校卒業生の松本信歩選手は、現地200メートル個人メドレーにおいて、東京オリンピック金メダリスト大橋悠依選手ら実力者がそろうなか準決勝進出の大活躍でした。このたびのオリンピック出場には、本校同窓生・教職員を含めて驚きと感動をもって応援させて頂きました。

 そんな松本信歩選手にインタビュー形式にてお話をお伺いしたいと思います。

竹早中学校時代はどのような生徒でしたか?

松本選手

あまり表立って何かをするのが得意ではなかったので、目立つような生徒ではなかったと思います。勉強については、授業にもテストにもしっかり取り組んでいたと思います。

選手と進学校の生徒との両立には大変なご苦労があったと思います。練習と勉強の両立において何か秘訣などございますか?

松本選手

普段はスイミングクラブで練習していたのですが、授業が終わると水泳の練習までの間に宿題を済ませるようにしていました。試験前や宿題が多いときは、練習が終わって家に帰ってきてからも勉強していました。また、遠征などで学校を休むことになるときは、事前に教科の先生にやっておくべき勉強を聞きに行くようにしていました。そのおかげで、授業についていけなくなることはありませんでした。

竹早中学校時代の想い出深いエピソードなどありますか?

松本選手

水泳においては、全国中学水泳競技大会の200m個人メドレーで優勝したことが一番の思い出です。出場にあたり、当時顧問だった菊地圭子先生をはじめ、出場にあたり先生方にも応援していただけたことを覚えています。授業ではとにかく発表が多くて、人前で話すのが苦手だったので、毎回準備が大変だった記憶があります。また、特に理科の授業はレベルが高かったので大変でしたが、大学レベルの問題を解いたり、元素記号を100個近く覚えたことは今ではいい思い出です。

中学校以後の進路を選択するにあったって考えるところありましたか?

松本選手

高校は、中学の先生の勧めもあって附属高校に内部進学することを選択しました。徒歩通学から電車通学になったり、課題が多くなったり、慣れるまでは大変でしたが、高いレベルで勉強をしながら競技を続けたいと思っていたので最高の環境だったと思います。早稲田大学進学については、水泳の練習を優先できる環境を選びました。勉強は年を重ねてからでもできますが、今しかできない水泳を精いっぱい頑張りたいと思ったからです。

実は、このたび母校の校門に掲示した横断幕には“パリ”とは記載しておりません。この横断幕が今後も使えますよう次回ロスアンゼルス大会も期待してよろしいでしょうか?

松本選手

多くの方に「横断幕見たよ!」と言っていただきました。応援ありがとうございました。パリオリンピックを終え、世界のトップレベルで戦えるようになりたいと思うようになりました。すでにロサンゼルスオリンピックで活躍することを目指して練習を再開しています。今後も応援していただけたら嬉しいです。

今後とも、ご無理なさらずに頑張ってくださいね。竹早中学校の期待の星☆松本選手でした。