追分と竹早の統合

(フレッシュアップコミュニケーション25年版より)

前副校長 荒井 正剛

 一昨年、大学が各附属学校名の変遷を調査した際、竹早中学校と追分中学校の統合時の校名が問題になりました(奇しくもその年に私は生まれました。)
調べてみると、校名について様々な意見が出てまとまらず、統合一年後に正式に決めることになったようです。結局、東京学芸大学附属中学校となり、さらに五年後に附属竹早中学校と改称しました。しかし、後日たまたま見つけた統合した年のPTA会員名簿には、東京学芸大学附属竹早中学校となっていました。
 当時の状況を、追分一期生からご指導された三輪先生に伺おうと、お宅を訪ねました。たいへんお元気で、当時のお話で時が経つのを忘れてしまいました。
けっこう厳しい先生であったと聞いています。私は、化学準備室が社会科準備室の真向かいであったことと、鞆津先生時代の「彼女」に私が前任校でたいへんお世話になったことで、先生には親近感を感じていました。
 お話によると、立地場所や生徒数から、校名はいずれ竹早中学校になるであろうが、追分から移ってきた生徒が卒業するまでは、少数派である彼らが寂しい思いをしないよう配慮されたそうです。
当時の在校生で、本校教育後援会「創竹会」でもお世話になっている、七期で追分出身の高畠様や竹早出身の子安様に伺うと、生徒は入り交じって楽しく過ごしたそうで、先生方の配慮を知り、感謝されていました。
 昨年四月に二十一期生約二〇名、また、今年三月には十二期生約五〇名が学校見学にお出でになりました。特に旧校舎の写真や絵の前で中学校時代を思い出し、盛り上がっていらっしゃいま