故鈴木榮二先生 ―追悼―

(フレッシュアップ平成23年版より)

 六十余年のお付合い 鈴木榮二先生を悼む

 鈴木榮二先生の訃報が入ったのは、今年の元旦であった。「えっ」という驚きが頭の中を走った。われわれ一期生は、毎年、誰かが先生と接していたから、またいつでも会えるものと思い込んでいたのだ。

 思えば六十余年、長い長いお付合いであった。これだけ深い師弟関係というのも、そうないのではないか。大学に入り就職し熟年に達する。一人一人の成長・行動をずっと見守ってくださった。死まで見届けてもらった者もいる(「大場秀夫君のご逝去を追悼する」同窓会報平成二十一年)。われわれ仲間うちでは「エイジ、エイジ」と呼んでいた。友だちのような感覚である。わたし自身、家庭教師先を紹介していただき、その縁で出版社に就職し満足する仕事をすることができた。わたしの現在あるのは先生のおかげである。

 先生はよく、附属中学の教育方針を立てるのにいかに苦労したか、力をこめて語られた。われわれは「またか」という顔をして聞いていたが、これは大変失礼なことであった。六三制の出発は教育改革の中心にあり、いわば戦後民主主義の根幹を担っている。そして当時の教育現場に混乱がなかったわけではない。

 どうも一期生は特別にいい思いをしたようだ。上級生がいなくて自由奔放に駆けずり回り遊びまくった。みな仲が良かったし、今でも会えば気楽に話ができる。最期に先生は、葬儀はどうしてもわが同級の生家「西信寺」で、と言い残された。享年九十二。戒名詠情院高覚教榮居士。

(1期生 小川 壽夫)