前学校長 山崎謙介
本校も新しい年度が始まり、第64期の入学生を迎えた。第2次大戦終了後の昭和22年に始まる学制改革により六・三制が制定され、新制中学の発足に伴い本校の前身である東京第一師範学校女子部附属中学校および東京第二師範学校女子部附属中学校として出発し、ともにこの文京区に設立されている。昭和24年には国立学校設立法施行令により、それぞれ東京学芸大学東京第一師範学校竹早附属中学校および東京学芸大学東京第二師範学校追分附属中学校と改称され、さらに昭和26年には、それぞれが“……師範学校”の名が消えていく。昭和29年には二つの学校が竹早地区に統合され、名前が東京学芸大学附属「新設」中学校となる。現在の東京学芸大学附属竹早中学校に改称されるのは昭和35年のことである。創立10年目、20年目などの節目にはそれなりの行事があったろうが、いま手元にある記録の類は創立40周年、50周年、60周年での記念誌のみである。そこにはそれぞれの期生による竹早中学への想いが語られ、本校が如何に卒業生により愛されているかが窺える。過日、第1期生の方がお見えになり、同期の友人が次々と他界していくにつれ、存命の方々が本校の卒業式、入学式に列席し、現在の生徒と心を分かち合いたい旨の心情を語られたというのを聞くにおよび、学校およびそこに学びあう人々の社会をさらに磨きをかけなければならないと心に決めたところである。