前社会科 新海 宣彦
1974年春に沈丁花の甘酸っぱい香りただよう校門をくぐって以来、31年間竹早中学校に勤めさせていただきました。長くもあり、あっという間のようでもあります。終業式の日に2年生のUさんが「私の母が、先生が竹中に来た時のことを覚えていました。」と語っていました。親子二代のおつきあいと思うと随分長居をしたなとも感じます。個性豊かな先生方がつくりだす自由で融通無碍な空気が竹中の魅力でした。
先生方もさることながら、出会った生徒たちが魅力的でした。解剖実験後のカエルを「食べよう」と差し出す女性と、「我々のやり方が気にくわないなら殴ってくれ」と頬を差し出すバスケット部員、「苦界浄土」を読んで、単身水俣に飛びこみ取材をし自由研究をまとめた中1のOさん、夏休みを全てかけ綾瀬川の汚濁調査をし聞き取りをまとめたK君、母の難病を治した”幻の薬”「発光」を探索したKさん、シイやドングリの粉で作ったクッキーを持ち込み「物つくりクラブ」を創設し「人間クラブ」と命名したTさん、群馬の農家にのりこみ五年もののコンニャク芋を熱意でもらいうけてきたMさん、旧校舎の七不思議を探索し竹中の歴史を発表した1Aのみんな・・・等々、自主性と知的好奇心を旺盛に発揮し自らを輝かせていた生徒たちは、まさに枚挙にいとまがありません。こうした生徒のすばらしさをもとに、1987念、憲法と教育基本法に根ざして真理と平和を愛し、「自ら求め考え表現し実践できる生徒になろう」という教育目標が定式化されました。
閑話休題。禅宗では「啐啄同時」という言葉が使われます。「啐(ソツ)」は、鶏卵が孵化しようとするとき雛が殻を中からつつくこと、「啄」は母鶏がそれに応じて外から嘴で殻をつつくことを意味しています。それが同時とは、機を得て学ぶ人と師との両者の心が統合することを喩えているそうです。竹中は、この「啐啄同時」があふれる学び舎であったと思います。尤も、私は「附属生なんだから」と「啐」も聞こえないうちに、嘴でつついて生徒を傷つけることも多かったですが・・・。今、子育てばかりでなく、あらゆる企業でも相手の求める声を聞き分け、尊重して行動することが大切になっているように思います。